流山児★事務所 『盟三五大切』(かみかけて さんごたいせつ)
7月22日(木)~26日(月)@ベニサン・ピット
[原作]鶴屋南北[脚本]山元清多[演出]流山児祥[音楽]本田実


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 開演ぎりぎり一番後ろの席に腰を下ろすと、ななめ前に篠井英介
がいた。ピンクのシャツと白いスラックスというさわやかすぎる出
で立ち。満席で人いきれする空気もなんのその、エレガントに足を
組み、静かにパンフレットに目を落とす様子は、まさに掃き溜めに
鶴といった風情だ。

 篠井英介は、この日の終演後に行われるアフタートークのゲスト。
10月3日(日)~10日(日)@本多劇場『心中天の網島』の演出・
出演で、流山児祥と芝居を作ることが決まっている。今回の率直な
感想と10月公演の意気込みをナマで聞けるのだな、と幕が上がる前
から私はウキウキなのでした。

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 『盟三五大切』は、鶴屋南北の歌舞伎をアングラ継承者・流山児
祥が脚色した芝居。02年に初演し、05年にはカナダ公演の演目に決
まっているという、流山児★事務所にとって特別なレパートリーだ。
 ―吉良邸への討ち入りを控えた浪人不破数右衛門が、芸者小万に
ネツを上げたことが運の尽き。忠義を誓った男たちは、カネと恋を
めぐって悪循環にはまっていく。女性が主要な男性役を演じる、女
形ならぬ男形キャストで、荒々しい心情を繊細に描きだす効果をも
たらしている。スピーディーな現代口語と原文そのままのキメ台詞
とを織り込んだ、現代版の歌舞伎である。

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 残念!前置きはご立派なんだけど…斬り!!

 女が男の着物で振る舞うと色っぽいわぁ、
 大勢でワーッとチャンバラされるといかにも時代劇だわぁ、
 っていうのはまあそうなんだけど、消化不良な感じ。

 流山児祥にゆるぎない演劇論があるのはなんとなく分かる、でも
実際の舞台にグワッと胸をわしづかみする何かが足りないと感じた
客席(少なくとも私はそうだ)には、「タテマエはいいから作品で
納得させてくれい」という歯がゆさが蔓延していた。

 篠井英介vs流山児祥のアフタートークは、そのモヤモヤを一気に
解いてくれた。篠井英介が役者の心構えや一つ一つの公演の完成度、
いわば“目の前の課題”について意見するのに対して、流山児祥は
演劇によって社会にかかわっていく芸術家の野心を熱弁する、とい
うまったく噛み合わない議論とあいなったのである。


流山寺「世界共通で受け入れられるテーマは“カネと恋”だと思う
んだよね。そういう筋に、殺陣や衣裳という日本の独自性をハデに
盛り込める『盟三五大切』は俺自身すごい好きだし、日本でよりも
海外のほうがウケがよかったりして(自嘲と誇らしげな笑み)。俺
はどこへでも持っていける舞台として、セットを組まない素舞台で
やれる戯曲を作りたいと思ってるし、役者のパワーだけで見せるダ
イナミズムこそ、強く訴えかけられる演劇なんだと信じてる。寺山
さんや鈴木忠志さんと同じ目標だと思うんだよね」

 うんうん、と頷いてじっと耳を傾ける篠井英介。そして開口一番、

篠井「失礼な話、学芸会みたいだったけどね」

 篠井英介は柔和な表情をたたえて言葉を続ける。アングラ演劇の
アグレッシブさを保つ男気や、人間国宝から新進俳優まで幅広いキ
ャストを呼び込む流山児祥のプロデュース能力に、惜しみない賞賛
が出た。劇団の継続と発展、流山児祥はたしかにすばらしい実績を
持っている人なのである。篠井英介が尊敬し、シンパシーを抱く理
由がすっきりしたところで、再びさっきの公演に話が戻る。

篠井「芸者役の女優が裾をバサッとさせたまま坐ってるとかね、も
う私だったら「そこ!!」(ビシッと人差し指を突きつけるポーズ)
って指導したいところがが240箇所くらいありましたけど、お客
さんもアングラを見に来てるんだから容認されるとこなんでしょう。
でも着物の着方がどうこうより、熱い演技を見せるのだとしたら、
よけい役者は自分の感情を一つ一つの所作に託すべきですよね。顔
を上げる、振り向く、歩く、すべての動作に心の動きを乗せていか
なくてはならないのに、どこをとってもやむにやまれぬ感じがない。
だから学芸会だと言ったんです」

 演出家も役者も、幕が下りて拍手を送った観客をも敵に回す、ま
さに一触即発の空気。そんなコワい状況を自ら作っておいて、「た
とえばココが気になった」と具体例を挙げては的確かつユーモアに
富む表現で、演技の見直しを淡々とすすめる篠井英介。ともすれば
流山児祥の自信作をメッタ斬りする厳しいお話なのに、「海外ツア
ーを目前にした血気盛んな演出家に、ネチネチとダメ出しをする役
者バカ」という寸劇を演じているような軽やかさ。蝶のように舞い、
蜂のように刺す……あなたは踊るモハメド・アリですか、篠井英介。

 10月に上演する近松門左衛門作『心中天の網島』の演出について
はこんなエピソードも聞けました。

篠井「俳優は本来、国の文化を継承していく役目も背負っていると
思うんです。自国の言葉を操る、民族衣装(日本なら着物)を着こ
なすことも、身につけておくべきたしなみ。だけど今じゃみんな日
本のモノより西洋のモノのほうが得意になっちゃった。着物より洋
服のほうが似合うのは、ふつうの人にしろ役者にしろ明かなんです。
だから七瀬なつみちゃん(ヒロイン役の女優)に着物の着方を仕込
む気はないのね。ドレスのほうが似合うし、そっちのほうが素敵に
見えるから、ドレスを着せます」

なるほど、チラシも衣裳はシックなドレス。怒濤のダメ出しをした
人が手がける演出とはどんなものか?いやがうえにも期待は高まる。

篠井「私は自分の演出を見せたいというよりは、役者のお手伝いが
したいんです。心を動かすことが役者のつとめ。それを積み重ねて
いく指導をするだけです」

流山児「はい、鍛えてください」

 ケンカ番長的コワ面の流山児祥は、ダメ出しの大半に「いや、俺
はこう考えてやってるんだ」と反論しながらも、眉間にしわ寄せ考
えていた。その顔は、年齢も芸歴も超えてイイものを作ってお客さ
んに見せたい、と切実に願う人間のそれにほかならなかった。
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# by toyorubichun | 2004-07-24 15:17 | 舞台
青年団『暗愚小傳』
2004年6月17日~7月4日 こまばアゴラ劇場
作・演出 平田オリザ
出演 山内健司 ひらたよーこ 松田弘子 足立誠 山村崇子 永井秀樹 辻美奈子 秋山建一 川隅奈保子 端田新菜 福士史麻 古屋隆太

高村光太郎・智恵子の物語。詳伝、ではない。永井荷風が親友だったり、宮沢賢治が訪れたり、たぶんそのへんの時代の作家だよな?って人たちが出てくるフィクションでした。

青年団といえば会話劇。それは開演の合図もなく始まる。音もなく走り出す雪国の夜行列車のように。BGMも効果音もない、スポットライトで照らしたりもしない。場面とだから暗転はラストのみ。舞台上の時間は客席、つまり現実と同じ速さで流れる。――今回はそういったいつものスタイルを取っ払って、4シーンから成る構成となっていました。ただし場所はひとつだけ、光太郎の自宅の居間です。

〔1910年代~結婚初期〕
〔1920年代~智恵子の精神病〕
〔1930年代~智恵子の死と戦争〕
〔1940年代~戦後の隠遁〕

狂った智恵子に、あくまでやさしく接する光太郎と、とくに口出しすることもなく見守る周囲。時間がポンと10年、20年と飛ぶのに、第二次大戦の前後で大きなご時世の変化があったりするのに、昔馴染みの人間関係は根本的にいっしょで、あたたかみと一定の距離感をずっと保ち続ける。壊れない、過剰な密着もない。長い付き合いってこういうものかな。こういう仲間っていいな。というお芝居でした。


平田オリザの戯曲はタイトルが好きです。

『東京ノート』
フェルメール展が開かれている美術館のロビーを行き交う人々。

『S高原から』
サナトリウムの人々。

『火宅か修羅か』
『南へ』
『北限の猿』
『バルカン動物園』

シンプルでおとなしいんだけど、なにか不穏な空気を感じさせて、やけに頭に残ります。
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# by toyorubichun | 2004-06-28 02:59 | 舞台
Studio Life『DOLACULA』
2004年6月9日~27日 新宿御苑 シアターサンモール

誰もが知っているゴシックホラーに挑んだ意欲作。公演パンフレットは、「ドラキュラ参考文献リスト」と化していました。演出家の倉田淳さんはほんとうに勉強家です。対談の文中でも、ドラキュラ映画とその名優について熱く語っていて、彼女が勉強家でまっすぐに取り組んでいるのがよく分かります。

だから、見るほうも文学少女になりきってないとツライ。美しい青年たちがナイーブな芝居をするっていうことと、ことばの美しさを噛みしめる態勢ができてないと、うたた寝する危険がある。――しかし、今回は集中力が切れることなく楽しめました。15分の休憩はさんで前編・後編3時間、たしかに長い。なんとドラキュラ様の登場は、前編の終了間近! こらこら、待ちくたびれたぞ~……ハッ、待った甲斐あったー!! 息を呑むほど美しい登場でした。曽世海児さん。マントさばきが、また見事なこと。完璧に、少女の夢見る貴族! シークレットブーツでも履いてるんだろうか?ってくらい他のキャストより頭ひとつ高い長身は、立ち姿だけで威厳があります。

ライフ版ドラキュラは再演で、過去に演じた経験のあるシニア・チームと、新しく挑戦するジュニア・チームに分かれていました。及川健クン見たさに何度か通ってる私ですので、ダブルキャストの今回も及川クンが出演するほうを選びました。

作り込まれた衣裳や棺、舞台セットで、すんなりその世界に引きこまれました。ビジュアル面は、コッポラ版のドラキュラ映画をお手本にした感じかな。あの映画は、ドラキュラ役のゲイリー・オールドマンが、若き事務弁護士ジョナサン(キアヌ・リーブス)の妻ウィノナ・ライダーを欲しがるという、“恋するドラキュラ”でした。

ライフ版のドラキュラは、ウィノナ、もとい弁護士の妻にではなく、弁護士に恋してました。ホモセクシュアルのドラキュラさんですね。ところがジョナサンのほうはからっきしノンケで、奥さん一筋。それと、ジョナサン役もウィノナ役(及川クン♪)も背がちっちゃくて、かわいらしい夫婦なのね。ドラキュラ伯爵が横恋慕する隙がないっていうよりは、子どもだからよく分かってないってかんじ。セクシ~に後ろから抱きすくめられても、「えっ、なんで?」みたいな。

ドラキュラとかわゆい夫婦のふしぎなギャップが、芝居のトーンを軽くしてるのは、故意かどうかは知りませんが、よかったと思います。スタジオライフの舞台って、原作がシリアスだからきちんと座って固唾を呑んで見守るかんじなんですが、けっこう笑わせる台詞もちょこちょこある。笑っちゃうほどクサいのか、意図的に狙った笑いなのか……そのへんの境界線の薄さすら、スタジオライフの面白さだ。

さてさてスタジオライフの面白さ、その50%は客席にある。9.7割くらい女性客なのだが、彼女たちの入れ込みようがすごい。まず必需品はオペラグラス。シアターサンモールだよ?300席だよ?後ろ半分は分からんでもないが、前から10列目未満だってオペラグラスは欠かせない。スタジオライフの芝居は、棒立ちで長ゼリのシーンがかなり多く、引きで見ていると動きが乏しいのは理由のひとつかもしれない。しかし、彼女たちにとって重要なのは、役者の表情、いや顔そのものだろう。映像ならばカメラが寄るべきシーンを、ナマで拡大して見たいわけだ。

お目当ての男の子が登場したらすかさず、オペラグラス。スポットが当たったら、オペラグラス。舞台奥に行くと見にくいから、オペラグラス。男同士の絡みなんて始まった日にゃ、オペラグラス。「どうどう、落ち着いて……」と両肩をポンポンと叩きたくなる。。

ロビーに飾られることを念頭に置いたプレゼントも見応えがある。やはり美しい男には、花を贈るのが正しい。胡蝶蘭、スパティフィラム、ガーベラ、一番多かったのはバラ!及川クン宛てに届いていたアレンジメントが目を引いた。血の色をしたダークなバラの籠、ゴスな色調の花の真ん中には、十字架が光っておりました。ドラキュラだもんね!演目に合わせてプレゼントにひと工夫するなんて、ファンの鏡ですね。



スタジオライフは耽美系の美意識をもつ女性から、カルト的人気を誇る劇団です。キャストは男性のみ、女役もすべて男の人が演じます。ことさらに女女した演技はしない人たちですが、やっぱり若くてカワイイ顔の子がヒロイン役。こういうのにグッと来てしまう人間のひとりです、私。スタジオライフの作品は傾向がはっきりしています。

『トーマの心臓』萩尾望都
『月の子』清水玲子
『OZ』樹なつみ 
『歓びの娘 鑑定医シャルル』藤本ひとみ
『死の泉』皆川博子
『Sons』三原順

原作者は少女漫画&ノベル界の巨匠たち、これだけ名作がずらずらっと並ぶと、タイトル読むだけでうっとりしちゃいます。過去にデュマ、チェーホフら文豪作品にも挑戦していますが、「スタジオライフ=少女漫画の舞台化」というイメージは不動でしょう。タカラヅカがベルばらなら、ライフの代表作は『トーマの心臓』。ヅカは華麗なザッツ・エンタテインメントですが、ライフの演出は心理描写を重んじるため、とにかく静かです。

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# by toyorubichun | 2004-06-27 03:11 | 舞台
新転位・21『エリアンの手記』
6月11日~21日 中野光座 作・演出/山崎哲

『エリアンの手記』は1986年当時、中野富士見中学校でほんとうにあった事件をベースにして書かれた戯曲です。いじめにあった男の子が駅のトイレで首を吊って自殺した。パシリ、カバン持ちといったお約束のコースを経て、「葬式ごっこ」までやらされていたという。学校を休んだ翌日、机には色紙と一輪挿しの花。色紙にはクラス全員からお別れの言葉が寄せられていた。担任の先生もいっしょになって書いていた。

――もうほんとうに暗いお話です。救いようのなさでいえば映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』並み。すでに自殺があった後、男の子の家を先生やいじめっ子のお母さんたちが入れ替わり立ち替わりやって来て、自殺を未然に防げなかったことを正当化するかのように、ぶっ壊れたもの言いをしあう。男の子の家庭環境については、2004年上演にあたって手を加えたのかもしれない。お父さんがリストラされて毎日仕事に行くフリをしている、っていうのは80年代の日本に「よくあること」ではなかっただろうから。自殺した男の子について語っていた大人たちの会話が、しだいに自問自答のモノローグへ変わっていくあたりが、社会派ドラマなんでしょうか。

終幕はクラスメイトが参列する、本物のお葬式という形。会場を出ると、ロビーにお葬式用スタンド花が。しんみり、というより自分も葬式ゴッコにかかわってるような気持ちになって、「ごめんなさい ごめんなさい」って男の子に言いたくなった。

芝居のトーンは基本的に絶叫系でした。まだ公演日程の中盤戦なのに、ほぼ全員ノドを枯らしている。よくよく聴いてると台詞がひとつひとつ、後の伏線になっている細やかな戯曲なので、よくないんではないかと。話の筋も演出もすっかり先が読めるとはいえ、そこはやっぱりきちんとしていただきたい。こう言ってるんだろうなぁってコチラの予測が入る状況って、声が届かないほど広いホールで高校演劇コンクール見てるのといっしょになっちゃいますから。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の、カンパネルラが川で溺れるくだりをおばあちゃんが朗読するはじまりは、よかったです。おばあちゃん役の女優さんがとっても上手で。否応なく「死」を考えさせる呼び水になってました。自分が生きてる世界は、誰かが見ている夢なんじゃないか、その人が目を覚ましたら自分は消えてしまうんじゃないか、というマトリックスみたいな解釈も、10代の自殺を扱うおはなしにはよく馴染んでいる。

『銀河鉄道の夜』になぞらえてドボルザークの交響曲「新世界」をことあるごとにフルボリュームで流すのには、戸惑いました。荘厳なクラシックって芝居のBGMに使うと強すぎるよね。そのまんますぎると、イメージが萎縮してしまう。

さてさて、美術セットについて深読みをしました。舞台はワンシチュエーションで、おもちゃの鉄道があるリビングルームでした。壁に細長いダンボールの筒を縞模様にあしらい、食卓テーブルと椅子は白っぽい木製。奥には洗濯物が下がっている。すべて白と生成の服で、お母さんとお父さんの衣裳もやはりナチュラルな色合いの部屋着。体のラインをあいまいに見せる、仕立てのゆるいコットン素材とニットだ。それらは無印良品を彷彿とさせる。1986年の初演も、このセットだったのだろうか? 80年代といえばDCブランド真っ盛り、日本人が浪費を楽しんだ時代だ。しかしナチュラルをウリに、無敵のブランドとして確立した無印良品。その価格とデザインの優しさの裏には、ギリギリのプライドが潜んでいる。つねづねアレは実用性のあるままごと道具だと私は思う。

リーズナブルでコーディネイトを統一するにはうってつけ、そこに日本人のまごうかたなき「中流階級意識」が見てとれる。何十年も使い込む強度はそもそも求められていない、実はとくにすぐれた機能性がなくても「万能」っぽいシンプルな見た目。スケルトンとか白なんて数年でヨゴレちゃうんだけど、だいじなのは当面の清潔感である。よそ様に見せて恥ずかしくない体裁をキープできればじゅうぶん、というわけだ。近年、お気楽な一人暮らし用なら無印良品のお株は100円ショップにとられているが、むしろ不況は「無印良品だから恥ずかしくない」というベクトルを作るのに好都合といってもいいだろう。100円じゃ買えない、でも何十万円もかけなくて済む。

いじめられっ子の家庭が無印良品でそろえられている理由をこう妄想する。お父さんはお父さんらしく仕事に行くフリをして釣りに行く。お母さんはいじめられっ子とそのお母さんに対して強い態度が取れない。悠長にかまえようとして、しきりにお紅茶とケーキをすすめる。家庭らしいあたたかさと余裕を見せたがる。息子が死んでいるのだ。でもそれはあってはならないこと。平均から外れること。ふつうの家は息子が自殺したりしない。この家庭にとっての恐怖は、息子の死よりも「ふつう」というアイデンティティの崩壊なのである。

そんな解釈に突っ走った私は、絶叫芝居より何より、無印良品づくしのセットに震撼した。

中野光座は、ぼろい映画館を劇場にした、うらぶれた小屋です。中野駅南口から4分で行けて便利、でも入った途端にテンション落ちる。汚いとか古いとかよりも、なんなんだろうあの空気。トイレがすごいんだよね。抜けそうな階段をのぼってくんだけど、いつ花子さんがノックして声かけてきてもおかしくないようなドヨ~ッとしたタイル貼り。個室のドアは足で蹴らないと開かない。

作・演出 山崎哲さんの紹介も少し。

1970年代から演劇に目覚めて、寺山修司・唐十郎の後輩、流山児祥の同期という、ザ・演劇人。社会問題をテーマにした戯曲で岸田國士戯曲賞や紀伊國屋演劇賞を順当に受賞している。1994年、オウム事件をターニングポイントに「文化人」としてテレビ出演するようになった。

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# by toyorubichun | 2004-06-17 03:18 | 舞台
2004年6月17日 東京オペラシティコンサートホール
東京フィルハーモニー交響楽団 東京オペラシティ定期シリーズ第6回
指揮:岩城宏之

リスト
ハンガリー狂詩曲 第2番、 第5番「悲しき英雄物語」
第6番、第12番、第15番 「ラコッツィ行進曲」

バルトーク
弦楽のためのディヴェルティメント

コダーイ
組曲「ハーリ・ヤーノシュ」



組曲「ハーリ・ヤーノシュ」演奏中の出来事。トロンボーンが鳴り始めたところで、ふっと音が消えた。「非音楽的ではありますが」指揮者・岩城宏之さんがマイクを持って、客席に向き直った。

「これは歌劇として作られましたが、知らない方がほとんどだと思いますので、少し説明させていただきます。ハンガリーで私はこの歌劇に出会いました。しかも隣はコダーイでした。コダーイの隣の席でこの作品を見た日本人は、おそらく私しかいないでしょうね」
え、いきなり自慢ですか!? 話している岩城さんのうれしそうな顔ったらない。孫自慢する時もかくやという、頬のゆるみようである。この歌劇、「俺はナポレオン軍を一人で倒した英雄だ、王女様に求婚された男なんだ」と大ボラを吹きまくるおデブさんのお話なんだとか。トロンボーンが味付け的な役割を担うことの多い曲です。ナポレオンがヨロヨロと退却していく姿を表す、へなへなした音だったり、でっぷりしたお腹を揺すって歩くのを思わせるボヨ~ンとした音だったり。まじめな音楽の高等テクニックとはちがった意味での難しさ、遊び心のある曲だというわけです。

そして再び演奏が始まると、岩城さんの好々爺なトークを一瞬にして忘れさせてしまうような、威厳ある背中でオーケストラをぐいぐい引っ張っていた。カッコいい。
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# by toyorubichun | 2004-06-17 03:16 | 舞台
『ピエール・ボナール ―彩られた日常』
2004年4月29日(木・祝)~6月30日(水)損保ジャパン東郷青児美術館

ボナールは絵画やポスター、挿絵、デザイン、舞台装飾を手がけ、19世紀末を代表する画家として活躍しました。

と聞くと、どんな舞台装飾だったんだろう?と気になるところだけれど、今回舞台に関するその写真や模型はなく、タイトルのとおり日常をテーマにした色彩豊かな風景画、人物画がメインでした。パウル・クレーがそうだったように、ボナールも演劇、人形劇を創作活動の一部とした人だそうです。企画があったら見てみたいです。

下世話なことを書きます。

ボナールは、妻マルトを生涯描き続けた愛妻画家です。視線をそらし、うつむきかげんの肖像が多く、それは出会った24歳の頃からおばあちゃんになるまで変わりません。ひかえめで内気な性格の女性だったようです。

しかし、マルトは美しい女性でした。肖像画では丸みのある体つきに描かれていますが、絵と同じポーズの写真を見ると、スレンダーでプロポーション抜群! ボナールの裸婦像は、ルノアールのふんわりした肉体美を継承しているといわれますが、そのもっとも愛した妻マルトは、絵とは対照的で現代女性が憧れるほっそりした体型に近いのです。

法律の勉強をして博士号を取得したボナールは、かねてから望んでいた絵画の道に進み、マルトと出会いました。つねに寄り添い、ともに暮らしながら、ふたりが正式に結婚したのは30年後、マルトは50歳を越えていました。年表を見ると、結婚する少し前にボナールの母親が亡くなっています。

――勝手な憶測ですが――ひょっとして、親に反対されていたのかしら。それにしても30年以上もラブラブなカップルって、羨ましいですね。ボナールは、明るい色彩でハッピーな絵を描く一方で、自画像は神経質そうでなにか不安げな表情が多いようです。似たもの夫婦?だから一緒にいて一番安心したのかしら。

19世紀末のフランスには、サラ・ベルナール、ミシア・セール、クレオ・ド・メロード(画家ドガのモデル)、ちょっと時代がずれるけどマリ・デュプレシ(椿姫のモデル)など、サロン文化に花咲いたミステリアスな女性たちが多く登場します。芸術家は魅惑的な美女に恋い焦がれ、遂げられない思いを作品に昇華していました。立派なもんです。が、幸運なことにボナールは妻マルトをミューズとして崇めるというより、“永遠の恋人”として、ずっとふたりきりで過ごしました。あたたかな空気に満ちたマルトの沐浴図は、そんなラブラブ光線という後光が差しているように見えました。


ボナールという名の猫を飼っている知人に、もう数年会っていない、と思い出した。彼は自分で作った大きな白いテーブルで、たくさん絵を描いていた。ボナールにならってなのかどうか知らないけれど、よく自分の部屋やお気に入りの場所をスケッチしていた。色はつけず、ペン書き。サボテンをいくつも育てていて、サボテンを擬人化した自画像なんかも描いていた。今はデザイン会社に就職したとかで、そう遠くない所に住んでいる。あいかわらず紙にペンをすべらせて、きれいな線を描いているのだろうか。


■『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』山口路子著
画家の妻をモチーフにした18作品についての考察。読んでみたい!

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# by toyorubichun | 2004-05-30 02:15 | 美術
庭劇団ペニノ『小さなリンボのレストラン』
@はこぶね(4月29日~5月16日/追加公演5月20、21日、27日、28日)

【内容】
文字の流れる電光掲示板が、上手と舞台奥に設置されている。タイトル、シーン、ダダイズム的な文章がつらつらと流れていく。

小人のシスターがレストランにやってくる。気味の悪いウェイトレスは、シスターを適当にあしらいながら、お得意様の女性客にいそがしく給仕する。運んでくる料理は、エビっていうか、エビを積み上げたオブジェ!

女性客を演じるのは『ダークマスター』のデリヘル嬢役の女優だろう、関取並みのふくよかな巨体で、一度見たら忘れられない。インパクトが強いのは体型のせいもあるけれど、表情がコワくてイイ。白塗りの顔に漆黒の長い髪、黒いスリップドレス姿でタバコをふかし、ウェイトレスと意味ありげな会話をして笑う。

コース料理を注文したのに出てこない、とオドオドするシスターに、相席の客があてがわれる。七三分けのくたびれた男。シスターは男に興味を持ち、うわずった声でさかんに話しかける。男もまんざらではないのか、「結婚しているんですか?」と質問されて、「結婚している、だがそれだけだ」と答えたり。思わせぶりなのか、ほんとうに興味がないのか判別できない男の受け答えに、シスターはときめいている様子。

すると料理が次々と運ばれてくる。海亀と南瓜のワインがけ、オリジナル料理“恋人岬”(肉からサメの顔が突き出している)、寿司、そのほかいろいろ。ほんとに食べてるモノもあり。どれもグロテスクなビジュアルで、粘土細工か何かでできた小道具なんだろうけれど、ふしぎとおいしそう。

で、どういうわけだかシスターが突然死ぬ。男は食べ続け、ウェイトレスは給仕し続ける。そして、豊満な女性客はジャズピアノを弾きまくる。暗転後、食卓の上には十字架にかけられたシスターの人形。

おしまい。


オープニングが秀逸でした。


音楽は男臭いジャズ、劇場というよりカフェのような雰囲気。間接照明が目にやさしい。本を読んでつらくない程度の明るさ。客電が落ちて、幕が上がる。舞台は真っ暗で、何も見えない。うすぼんやりと明るくなって、さて何が始まるのかなと目をこらしても、誰も舞台に現れない、始まらない。

――ワインを注いで、グラスを鳴らして乾杯する。

それはまだ暗くてよく見えない舞台一面をスクリーンにした影絵。ジャズに合わせて、何度となく乾杯するグラスとグラス。舞台に映像を導入する芝居は一般的だけど、これは驚きました。ものすごくかっこいい! やっと明るくなると、徹底的に作り込まれたセットが現れる。馬小屋のように藁を敷いた床、天井にはランプ。けばけばしいピンク色に塗った、蜂の巣のような飾りが左右にある。下手からアップライトピアノを埋め込んだ壁、鹿の剥製、古びた木のテーブルが陳列されている。こぢんまりしたアンティークなレストラン、といったらいいのか。映画『バベットの晩餐』をほんのり思い出した。


“はこぶね”は庭劇団ペニノの主宰が、自宅マンションを改造して作った劇場です。青山劇場手前の、青山ケンネル前を左に入って青山病院前の青山薬局の上3F。道案内に青山何回出てくるんだっていう、青山すぎる立地です。

ひな壇のベンチ席は3列10席ほどで、快適かつ閉塞的。なんだそれって? 客席がひとつおきに、座高よりちょい高い板で仕切られてるんです。隣の人の顔は見えない、足が視界に入ってくるくらい。かじりつきの桟敷席と距離にして何メートルもないのに、特別席ってな趣です。ラッキーなことに、私は真ん中のベンチ席でした。

詳細は下に書きましたが、うーん、なんだったんでしょう。ココがおもしろかった、って言わないと伝わらないよな。んー。舞台の空気に呑まれる心地よさを体験できたんです。頭の中にあるイメージをすんなり実現している演出家、という感じがしました。劇場レンタルして上演するのがふつうの都内小劇場界にあって、自分で劇場作っちゃうっていう暴挙にまず驚かされますが、「お金にこだわらず、とにかくやりたいことをやる」という演劇人の常套句を、こんなにスマートにやってのけるなんてかっこよすぎ。

音響と照明のオペレーションは、主宰タニノ氏。ジャズに合わせて指パチされた時には、かっこつけすぎだよお! とドギマギしましたが、なんかそういう演出も、タニノ氏にとってはいたって日常的なのかもしれない。パンフレットによると“ラブストーリー”なんだそうです、この作品。

役者がみなさん、ちょっと若すぎるように見えました。演技がダメとかじゃなくて、この設定を完璧に見せるには、もっと年かさのいった俳優とかがストイックに演じると、渋みが増しそうだなと。いや、でも、役者よかったんですよ。

あの劇場にまた行きたい、と思いました。もちろん、あの間仕切りベンチ席で観たい。どうなんだろう、客席も公演ごとに変わるのかしら? 次回もますます期待! と思ったら、こんどの8月公演は野外劇だそうです。テント? 吹きっさらし? なんでもいいです、ペニノは観ないと気が済まない劇団になっちゃいました。


参考までに、前々回公演のおはなしも。

『ダークマスター』@駅前劇場 原作:狩撫麻礼(漫画)
食堂の主人が、ふらっと立ち寄った客を住み込みで働かせる。主人は2階の自室にこもって、料理の手順から生活のサイクルまですべてトランシーバーで指示する。命令はどんどんエスカレートしていく。その音声を、観客はおのおの持たされたラジオ(専用の周波数に合わせている)で聞くという、特殊なスタイルで上演された。

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# by toyorubichun | 2004-05-28 02:25 | 舞台
かわせみ座『まほろばのこだま~ののさまたちが目をさます』
5月26日(水)~27日(木) 世田谷パブリックシアター
作・原案/ 山本由也・益村 泉
構成・演出/ 高畑 勲(アニメーション映画監督)
演技アドバイザー/ 西田 堯
人形美術・舞台美術/ 山本由也
音響/ 前野伸幸
照明/ 小川幾雄
キャスト/ 山本由也・益村 泉・速名美佐子・神保初美

人形劇です。おもしろかったですよ~! 高畑勲演出、っていうんで何年か前から気になってたんです。今回のは河童、天狗、イタチなどが出てくるにっぽんむかしばなし。わらべ唄のほかは言葉のない舞台でした。2階席からはさすがに見えにくかったのですが、オペラグラス握りしめて「うわー!」って感動してました。次はぜひ1階席で!

人形は1体作るのに半年かかるといいます。動く仕組みもすべてオリジナルで、完成してからまず「歩く」までに時間を要するそうです。思いどおりに動くようになって、こまやかな表現を出して演出をつけられるようになり、舞台に立ってさらに奔放な表情を見せられるようになるのだそうです。

演じる側は芝居をするというより、楽器を演奏する感覚に近いと言っていました。手作りの楽器を作って、音を出して、それから演奏できるようになる、というような流れ。アフタートークで、そういったことを知りました。よかったのは、上の情報が演じ手の一方的な説明ではなく、観客からの質問で明らかにされていったこと。子どもの笑い声と、大人の感嘆の声がとても素直に聞こえてくる、あたたかい空間でした。

楽器のたとえはなるほどな、と聞いていましたが、「歩く」までに時間がかかる、と話すいとおしそうな顔は、まるで我が子が初めて立った日を語る親のようで、子どもを育てるのに似てるのかも、と思いました。世田谷パブリックシアターの芸術監督・野村萬斎が
出演しているNHK教育『にほんごであそぼ』に、かわせみ座の人形たちが出演しています。こんど見てみようっと。人形たちが「ややこしや~」って踊ってるそうですよ♪
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# by toyorubichun | 2004-05-26 02:35 | 舞台
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和倉雲平『電撃的東京タワー』
2004年5/23(日) @赤羽橋・BLUE GILL 14:00/19:00

元毛皮族・和倉義樹と元ロリータ男爵・足立雲平が組んだユニットの初イベントにいってきました。声明どおり(以下引用)、煌びやかなショーでした!



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 2003年2月
 和倉義樹が所属する毛皮族の公演に
 当時ロリータ男爵所属の足立雲平が客演。
 それまではお互い舞台上の姿しか
 知らなかったワケなのだが、
 和倉義樹のグラムロックへの傾倒
 そして何よりもそのルックスの見事さに
 かねてからショー的な企画を望んでいた
 足立雲平は、ある日突然和倉にメールを送る。

「和倉さーん、一緒にグラムっぽいユニットやらない?」

 初めはほんの思いつきだったんだけど
 これがなんだかとても面白くって、
 イメージに関する2人の認識は
 不思議なことにいつもピッタリ。
 ギラギラしたいよね、とか
 3回以上衣装替えしたいよね、とか。

 今までのお互いの劇団内ではできなかった事を
 自分たちで初めてやってみる。
 一からのスタートに苦労も多いですが
 方々の助けを借りて
 ようやく実現しそうです。

 「美しい男」という
  今時廃れたジャンルに真っ向から挑み、
  奇抜な衣装と輝くメイク
  そして何よりも生活感のない純粋なエロスで
  一日だけの素敵なショーを、と
  和倉雲平は想っているのです。

             (文:和倉雲平)

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オープニングは、バーブラ・ストライサンド? 続いてパフィー、YMO、ダフトパンク……とギラギラピコピコのオンパレード。2~3曲ごとに変わる衣裳はボンテージ、和服、どれもハッとするほど似合う。雲平君が背中の開いたドレスを着て登場した時には、ほぉ~っと溜息が出てしまった。このドレス、実は後ろ姿が背中どころかお尻半分が露出している、やりすぎなコスチュームだった! 最後の衣裳は『ベルベット・ゴールドマイン』のジャケそっくり。よくできてんの、羽根とか。ぴっちりした銀色の全身タイツだしね~。

惚れ惚れさせておきながら、ぷぷっと笑わせてくれる。なんとも猥雑で、二丁目のゲイバーとか、六本木のショーパブって感じ。ここまでやってチケット2千円は安いよ~。ホンモノは行ったことないけど、そんな雰囲気ムンムンで疑似体験させてもらいました。女性バックダンサーは、クラブイベントで知り合った子たちだそうです。和倉雲平がお色直ししてる間に、テクノバンドやお笑い芸人のパフォーマンスもあって、ストリップ劇場フランス座ってこういう感じだったのかしら? おひねり投げるオヤジの気持ちで食い入るように観てました。

“レビューショー”と聞いて、当初はえんえん知人のカラオケ見せられるような感じだったらどうしよう……と心配していたのは失礼千万でございました。それから、受付係の女の子が、真っ黒い前髪パッツンのカツラっぽいヘアスタイルが似合うモデルみたいな美人さんばっかり! 美しい人には美しい友達が寄ってくるんだろーか?

ロリータ男爵にいた雲平君は、役者をしながら衣裳、踊りの振付も担当していた多才な人です。絵もピアノも上手で、それらすべてを独学で身につけてきました。まるで美輪サマのよう。ダンスも絵も、アカデミックな技術はないのだけれど、“見せ方”のうまさと彼の美意識がギュッと凝縮されていて、いつも楽しませてくれます。ついエキセントリックなビジュアルにばかり目がいってしまいますが、芝居をしている時の彼は演技が細やかで努力家、イロモノ扱いではもったいない存在感があります。同じ劇団にいた私が言っては手前味噌になるなと憚りつつ、注目されてしかるべき人だと思っています。

ロリータ男爵の次回公演は出演してくれるらしいので、足立雲平ファンの私としてはうれしいかぎり。
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# by toyorubichun | 2004-05-23 02:49 | 舞台
『バナナがすきな人』劇団♪♪ダンダンブエノ
2004年5月12日(水)~23日(日) 青山円形劇場
作:大森寿美男&ダンダンブエノ 演出:近藤芳正
振付:井出茂太
出演:中井貴一、いしのようこ、酒井敏也、山西惇、栗田隆、温水洋一、近藤芳正

 中井貴一は舞台でキレを見せる役者だ。2世タレントのはしり、映画俳優、テレビ俳優、といかにも舞台映えしなさそうな肩書きを持つ人物だが、舞台がものすごくいい。『二人の噺』で段田安則と二人芝居をした時もよかったらしい。

 二枚目俳優がおもしろいこと言ってる、とかのレベルじゃございません。カードのCMで着ぐるみといっしょに踊るくらいじゃ、彼のお笑いセンスは発揮しきれてないだけなんだ! あのクドさ、仕草のいちいちに芝居してしまう細やかさ、いつなんどきでも通る声、ムダに充ち満ちている気品……テレビだとことごとく裏目に出ている中井貴一の個性が、舞台ではすべて有効に働く。だからって舞台に転向していかない所がいいのかもしんない。あなどりがたし中井貴一。

 役柄は、思いこみの激しい父親。ホラ吹いてるうちに、それが自分でも本当だったような気がしてきちゃうという、愉快だけどハタ迷惑な人。「俺は昔××だったんだぞ~」と調子に乗って、いろいろやって見せてくれる。バナナのたたき売りのマネ、橋幸夫のマネ(もともと顔似てる!)、寿司屋のマネ、マタドールのマネ、と何をやっても完璧なのがおっかしい。

 いしのようこもおもしろかった! これまた、美人女優がズレたこと言って笑わせる、とかのレベルじゃございません。バカ殿で鍛えられたから?よくわかんないけど、間の取り方がうまいっ。中井貴一の妻役で、ホラ吹きにつきあうのが限界になって離婚を迫る。そして当然おもしろいのが温水洋一、40歳。中井&いしのの息子役。どこをどう間違えたらそう生まれるんだ? どの人が空気を引っ張ってる、ってかんじがなくて、まとまっていて楽しい。ダンダン♪♪ブエノは、役者のエチュードで作っているらしい。思いつきで足したり引いたりしたものが、ここまでバランス良いなんて素敵。安心して大笑いした芝居でした。
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# by toyorubichun | 2004-05-20 16:24 | 舞台
『ヘドウィグ&アングリーインチ』
5月14日(金)~6月6日(日) パルコ劇場
作:ジョン・キャメロン・ミッチェル
作詞・作曲:スティーヴン・トラスク
翻訳・演出:青井陽治
出演:三上博史、エミ・エレオノーラ、横山英規、中幸一郎、テラシィイ、近田潔人

 三上博史、歌うまいです。映画『ヘドウィグ&アングリーインチ』をご覧の方は
ごぞんじのとおり、音楽がサイコー! そのイメージが舞台でも崩されなかった。本物のモノマネをしようとか、グラムロックっぽくしようとかいう衒いがなくて、めいっぱい気持ちを込めて歌ってるのがイイ。11曲中6曲(共作含め)、三上博史が日本語訳に参加していたり、その思い入れは大したもんです。ハイテンションで下品で、はてしなく孤独感を漂わせたオカマ。そんなコワイ役を怪優・三上博史は、いきいきと演じていました。

 演出の青井陽治は海外舞台脚本の翻訳・演出家で、あちこちで目にする名前なのだけれど、『GOD SPELL』を観て、軽い笑いがニガテなのかしら……と思いました。『GOD SPELL』はキリストとユダを主人公にしたオフブロードウェイミュージカルで、マイナーな『ジーザスクライスト・スーパースター』と言われる作品。キリストの生誕から死まで、聖書の名場面をドラマチックに再現していく。まともに聖書読んでなくても、さすがにキリスト様のおはなしだから、「あーなんとなく知ってる」っていう場面の連続ではあるけれど、やっぱりキリスト教圏の人でないと分からない冒涜とか茶化し方があるみたいで、「んーここがきっとポイントなんだろうけど全然ピンと来ない…」というもどかしさでいっぱいだった。本来ならハイテンションな舞台らしいが、役者自身もそのノリをいまひとつ分かってないようで、観客はなおさらついていけない。主演は山本耕史&大沢樹生。アドリブが見せ場なのであろうユダ役の
大沢樹生が、スベりまくっていて痛々しかった。日本人にはキツいアメリカンジョークが、直訳らしき台詞でますます寒い。とってもマジメな人が“大胆な”演出にチャレンジしてるんだろうなあ、みたいな印象だった。あいたたた。

 ヘドウィグもオフブロードウェイミュージカル。観客に向かってぶっ通しでヘドウィグのモノローグが続くのは、オリジナルの舞台と同じらしい。マイクをペニスに見立ててブロージョブをかましたり、喘ぎ声を上げたり、ひえ~ってかんじの下ネタがちょいちょい入るんですが、潮干狩りのごとくザーッと引く客席に、すかさず「ちょっとは笑いなさいよ!」とオネエ言葉で和ませる。お寒いネタも、三上博史の底力でばっちりカバー! まさに逸材です。

 それからエライと思ったのは、映画でカットされたエピソードがきちんと挿入されていたこと。ヘドウィグが自分のカタワレを求める純真な魂の持ち主であるだけでなく、コンプレックスを持った人間であるという暗い部分も見せるためには、どうしても必要な場面。この説明が省かれると、イツハクの影が薄くってしょうがないっていう欠陥もある。映画ではイツハクがゲイなんだかオコゲなんだか分かんなかったけれど、男でヘドウィグを凌ぐドラァグ・クイーンだったんだと分かってスッキリした。
それで苛められていたのね、こっそりカツラかぶって切ない顔してたのねって。ただ、映画見た後で、カット部分の概要も知ってないと、「おお!」と思えるほどのシーンじゃなかったけど…。

さて本題はココから。
おこがましいけれど、不満がたっくさんあります。

不満その1.音量
 音がすんごいうるさくて、耳ふさいじゃった。そんなの、インディーズバンドのライブでだってないよ! そのうち慣れるだろうと思って我慢していたけれど、2時間まるまる許容範囲を越える騒音! 私の前一列にいた観客も耳をふさいで怪訝な顔をしていた。反響とか残響じゃなくて、音量が単純にでかすぎる。バラード曲はほっとする音量に落ち着くけれど、サビはやっぱり鼓膜がビリビリしてくる。演奏が雑なのを隠してるんだろうか?と勘ぐってしまう。初日ならありうるミスかもしれないけれど、私が観たのはすでに平日の中日。アンケートに誰も書いてないはずがないのに?? クレームが反映されていないのか、その回たまたま大音響だったのか。ああ、ふつうの音量だったら倍楽しめたろうに。

不満その2.衣裳
 肩にツノとか付いてたぞ……アングリーインチのメンバーはKISSのコスプレみたいだし、ラストのイツハクは蛍光ピンクの全身タイツに、やっぱりツノ付き肩パッド。美しいドラァグクイーンじゃなくて、女子プロレスラーの悪役みたいだった。背丈の小さな三上博史が、歌舞伎役者の主役みたいにデカい衣裳を着せられていた。そりゃパルコ劇場は広いけどさ、そこまでデカくしなくても見えるよ! デザイン重視でいいよ! ヘドウィグがセンスの悪いオカマに見えちゃうのは解せない。観客は演劇マニアや観劇が趣味のおばちゃんだけじゃなくて、いかにもロック好き・おしゃれ好きな服装の子もたくさんいた。おそらく彼らは、このビジュアルに納得しないだろう。だいたい、パルコ劇場って押しも押されもしない大手ファッションビルの真上にあるじゃないですか。「さっすがパルコ!」と唸らせるファッショナブルな衣裳が出てくるほうが自然だと思う。「劇場とデパートは全然関係ないんです」って開き直られてような印象を受けてしまう。映画版の衣裳は、エアロスミス、レニー・クラヴィッツや映画『タンクガール』、現在はコートニー・ラブとマドンナを担当しているアリアンヌ・フィリップス。大物ミュージシャンの衣裳デザインを多数手がけている人。そんなスタッフさんと比べるのは酷かもしれないけれど、せめてグラムロックとヘビメタの区別がつく人を選ぶべきだったのでは。

不満その3.スライド
 アニメーションがありますよね、映画に。あれがすべてスライドだったんです。それはべつにいいとして、問題は、複数のイラストレーターが描いてること。タッチがバラバラで、世界観に統一感がない。しかも、みんなヘタ。味のあるヘタじゃないんです。プリミティブ・アートやバスキア的なポップアートとラクガキは違うんだよー! と叫びたくなった。どうしてヘドウィグに思い入れのあるイラストレーターを一人立てて製作しなかったのか理解に苦しむ。グラムロック最盛期に青春時代を送った人でなくても、マイナーなブームじゃなかったんだから、喜んで描く人いっぱいいそうなのに。


 そんなこんなで、三上博史の作品に対する愛情が際だっていて、気の毒でならなかった。演技よし歌よしアドリブよし、ほんとうに期待以上にやってくれた。芝居が終わった時、三上博史だけに拍手していた。スタッフを集め直して、ぜひリベンジ公演をしてほしい。
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# by toyorubichun | 2004-05-18 21:45 | 舞台
自己批判ショー『まんが古河の歴史』
5月7日(金)~10日(月)下北沢OFF・OFFシアター

【ストーリー】
水害に見舞われた農村の生き残りが、村を救う手がかりを探しに旅に出る。3人の救世主キリスト、モハメット、シャカに会ったり、学問好きなお殿様の城に忍び込んだり、なんかいろいろ脇道にそれながらも、地球とひきかえに古河を救うのだった!


自己批判ショーのメンバーは役者1名を除いて古河市民である。『まんが古河の歴史』、ううむ郷土愛のカタマリみたいなタイトルだ。たいして壮大でもない古河の歴史をたどる、たいして壮大でもない芝居。「たいしたことない」ということを主張しているのか。

自己批判ショーって…どんだけ後ろ向きな輩が集まってる劇団なんだ? いかにも暗そうな名前ね、やだわ~、なんて敬遠していたけれど、古河の人たちだと聞いて、ほっとけなくなった。何を隠そう私も茨城県民だ。地元愛がうずく。でも台詞に茨城弁が全然出てなかったんだよね。訛りがないわけないのに!スカしちゃってさ、いじやけんなあ、いづもとおんなしでいがっぺよー。そう、同郷と知った途端に一方的に打ち解けてしまうこの気持ち。田舎を持たない方々に、お分かりいただけるだろうか。(しかし、古河にはほんとうに訛りがないらしい。なんか悔しいけど事実だ)


私の実家は茨城県つくば市にある。古河市よりはずっと都会である。実家を離れて一人暮らしを始めて10年近くなるのに、他人の出身地の田舎指数を、自分の地元と比較してしまう習慣は抜けない。それはおそらくこれからも続くのだろう。「出身地」といっても、埼玉・千葉・神奈川とか、県が違えばもうどっちが田舎かなんてどうでもいい。おなじ茨城県内だからこそ、なぜか躍起になってしまう。すべてのつくば市民がひそかに考えているはずなのだ、研究学園都市ナメんなよ!と。

そんなこんなで、古河とつくばはたいして変わらない田舎です。今後とも自己批判ショーは私の郷土愛を呼び起こし続けることでしょう。おりしも深田恭子主演の映画『下妻物語』が公開されて、ますます茨城県が脚光を浴びるタイミング!(?) こんなの書いてたら里帰りして親の顔みにいこうかな~、って気になってきました。
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# by toyorubichun | 2004-05-07 02:08 | 舞台
『45歳以下の建築家45人展』
2004年4月6日~5月5日 埼玉県立近代美術館
※サンデーフォーラムvol.3
 4月25日(日)13:30~15:30 テーマ「これからの住まい」
 パネリスト:篠原聡子、高橋晶子、石井大五、木下庸子、みかんぐみ

 ワタクシ、画家はいくらか知ってるものの、建築家はからっきし知りません。どれくらい知らないかっていうと、コンクリート打ちっ放しの安藤忠雄と、ポストモダンの磯崎新しか知らないんです。それにしたって“ポストモダン”の意味を知ってるわけじゃありません。私の地元にある建物(つくばセンタービル)を「偉い建築家が作ったんだ」と呪文のように聞かされて育ったもんで、イソザキアラタの名前を覚えているだけです。

 そんなわけで展示の内容は、私にゃちんぷんかんぷん。45人それぞれの代表作が模型と写真で紹介されているのだけれど、率直にオモシロイと思えるものではない。会場に来ている若者は、建築関係の学生が圧倒的に多かった。CADの図面を熱心に見たり、メモ取ったり。コルビジェの椅子を欲しがるような、おしゃれとアートの区別にこだわらないタイプの若者はいなかった。

「本物が見てみたいなあ、この中に入って歩き回りたいなあ」
「模型にも上手なのと雑なのがあるんだなあ」
「みんな色がついてないや。リートフェルトの色遣いは特殊なのかなあ」

 そんな印象しか抱けない私。漫然と見て回ってもワケが分からないまんま帰ることになるだろうと思い、ぐるっと見た後にサンデーフォーラムを観覧しました。今回の展示に出品している5人の建築家が、「これからの住まい」について思い思いに語っていました。デザインのコンセプトとか、核家族から個人の住まいへと需要が移っている住宅事情とか。専門用語がほとんど出てこない、ビギナーの私にも聞きやすいおはなしでした。建築マニアには物足りないんじゃないのかな?と心配になるくらい。

 内容云々よりも、私がびっくらこいたのは、建築家さんたちの饒舌さ。しゃべることしゃべること。もちろん熱意ゆえ、なのだろうけれど、クライアントとコミュニケーションを取りながら作っていく仕事だから、やっぱり口八丁手八丁じゃないと渡り合えない世界なのかしら。予定を超えて2時間半ぶっとおし、トーク炸裂でした。

 今回の展示とフォーラムから、建築ビギナーの私が「へえ~」と思ったことをまとめてみます。


 電車の吊り広告や雑誌の特集で、デザイナーズマンション、デザイナーズ住宅という単語が目につくようになった。けれど、建築家が頻繁に住宅を手がけるようになったのは最近のこと。“建築家のデザイン”というブランドイメージが確立する前は、賃貸でも戸建てでも、住宅の設計=若輩者の仕事と相場が決まっていた。では建築界の巨匠と呼ばれる人々のおもな仕事はなんだったのかといえば、大手会社のオフィスビル、複合施設の設計など、バブリーな建物をつくることがステイタスだった。△□を基調とするシンプルなデザイン、コンクリートやガラス張りの素材で作る大掛かりなモノである。それがいまや時代錯誤になってきた。大枚はたいて××大先生に設計してもらった建築を崇める風潮から、クライアントの要求にフレキシブルに対応してくれる建築家に需要が移ってきたようだ。

 こうして若手建築家の情報がメディアで取り上げられるようになった。それまで知人や親類、その紹介に限られていた住宅設計という仕事がぐんとメジャーに!見ず知らずの人が評判を知って、建築家に直接メールや電話でコンタクトが取れる環境も整って、依頼が増えたのは大きなメリットだ。しかし、弊害も出てきてしまった。ムダをそぎ落とした合理的デザインが評価されている建築家に、「猫足の家具が似合うおうちを作って」と言ってくる人がいる…。クライアントの要望に応えるのが建築家。だから、このリクエストをむげに「とんちんかんな注文だなあ~ププッ」と笑うことはできない。ただ、せっかくこんなにいろんな建築家がいるのだから、あらかじめ自分のニーズに合った建築家を選びたい。

 「キッチンはこうしたい」「収納はこう」「ベッドルームはこう」とカタログからお気に入りを切り抜いてきて、事細かに要求するクライアントもいる。一見、積極的でこだわりが強そうなのに、実は一貫した主張のないちぐはぐな注文になっている場合がある。また、“ライフスタイルに根ざした住宅”のお手本が氾濫したために、へんなプレッシャーを感じているクライアントが増えているらしい。決まっていないこと、わりとどうでもいいところは素直に伝えて、迷った時こそ建築家にまかせればいい。暮らす上でゆずれないポイントや機能性に、人気ランキングは付けられるかもしれない。ただし、そのパターンを踏襲すれば自分にとってありがたい空間ができあがるのか? 胸に手を当てて考えたいところだ。

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# by toyorubichun | 2004-04-26 01:48 | 美術
坂本昇久写真展「オーロラ夜想曲」
エプソンイメージングギャラリー エプサイト(新宿三井ビル1F)
2004年3月31(水)~5月9日(日)入館無料

 坂本昇久さんはカナダ、アラスカのオーロラを撮っている写真家です。雄大な自然との見事なコラボレートは、つきあいの長いモデルとカメラマンの作品みたいに見えました。月あかりとともに、ビーバーの棲む川面に映るオーロラ。朝陽だろうか、夕陽だろうか、太陽といっしょに写っているものもあった。凍てついた夜空に光のカーテンが波打つ、というイメージからずいぶん離れた、さわやかなオーロラたちでした。 また、オーロラが爆発する瞬間「ブレイクアップ」もありました。光の飛沫が放射状に降り注ぐ光景です。こんなの見た時、いったい何を考えられるんだろう。よくシャッター切れたな~! 流れ星がスーッと落ちていく夜空のオーロラ、なんてのもありました。

 そうそう、色が凄かった! 赤色、オレンジ色のオーロラ写真に驚きました。ポピュラーな緑色のオーロラしか見たことがなかったので(観光客用に売っているポストカードも緑色がほとんど)。赤や紫に光るオーロラは、人間の目の感度がその色に鈍感なため、肉眼では見えないことがある。写真を現像してはじめて、そこに光が存在していたことが分かったりするという。見えないモノをフィルムに納める。カメラのレンズによってヒト以上の視覚を得る。そんな“写真の美学”もあるのかもしれません。

 ここで見た写真はみんなキレイ。たしかにキレイなんだけど、なんだかよく出来すぎている。予定調和的というか。そのくせどうも光の筋がぼやけて見えるところが、くやしい。「本物はもっと、こうなんだよ!」と説明したくなるんじゃないのかな、坂本さん。デジカメで撮った画像を鮮やかに色づけすることはできるだろう。舞台照明やCGで色形をそっくりに再現することはできるかもしれない。ダイナミックな動きを真似ることも、できるかもしれない。それでも到底本物にはかなわない、と思える最大のポイントは、あの空一面を埋め尽くすデカさだと思う。人工じゃありえない、果てしなく広がるスクリーン。壮絶なアートです。十年撮り続ける理由はいくらでもあるモチーフなのでは。

 一つ、うわあ!と思う写真がありました。雪原にイグルー(雪の家)がぽつんとあって、その上をぐるりとオーロラが旋回していました。キャプションには、撮影までの顛末が書かれていました。

――撮影ポイントを決めて、イグルーを作り始めた坂本さん。そこへイヌイットがやってきて、「そんなんじゃダメだ、俺に貸してみろ」と坂本さんが積んだブロックをガンガン壊し、立派なイグルーを建ててくれた。「火をつけっぱなしにして寝るんだぞ」と言って立ち去るイヌイット。凍えながら、坂本さんは一人ぼっちでオーロラを見上げた。

 オーロラは、当然のことながらインスタントカメラじゃ写りません。はるか上空をとらえる高性能レンズと、絶景ポイントをみつけるマメさ、オーロラが現れるまで待つ我慢強さ、凍てついた氷原の中ですばやくシャッターを切る運動能力が必要です。そうまでして撮っている坂本さんはほんとうにスゴい。写真の量を見るだに、おそろしい。それにひきかえ、なんの備えもない観光客が、オーロラ出た途端にパシャパシャとインスタントカメラのフラッシュを焚くのは、ほんとうに勘弁してほしいです。どうせ写りもしないのに、目の前にある一大イベントを記録したくてパシャパシャやる。あの感覚はおそらく、たまたま成田空港でヨン様が来日したところに出会って、人波にまぎれながらシャッター切っちゃうのと同じなんだろう。我が子の運動会をデジカメで撮りまくっちゃう親、飲み会で寝てる友達の顔をケータイで撮っちゃう人、とりあえず残しておきたがる心理って、日本人特有のものなんだろうか。


【とよちゅんのオーロラ観測日記】

 実は過去、フィンランドへオーロラを見に行ったことがある私。機会があれば二度でも三度でも……と思いますが、おそらく最初で最後なので、レポート書いておくべきでしょうね。

 オーロラって、晴れてれば年中出てるモノらしいです。日の沈む頃になるとあちこちで、シュパーッと小さめのオーロラが出てます。真冬の夜は綺麗なのが出やすいので、オーロラシーズンと謳われます。私が巨大なオーロラを見たのはたった1回、場所は針葉樹林がうっそうと茂っている狭い空き地でした。

 幻想的とか、光のイリュージョンとか、うっとりする余裕は、はっきり言って微塵もありませんでした。なんてったって北極圏。昼間だって、寒くてジーンズだけじゃ歩けない、スキーウエアが普段着っていう土地です。地元の人が暖炉にあたってビールでも飲んでる時間帯(夜中22時くらい)に、外出てオーロラ見に行くわけです、われわれ日本人観光客は。オーロラは低緯度に行くほど、地上に対して赤道側に傾く。高緯度に行くほど垂直に近くなる。これはオーロラが地球の磁力線に沿って現れるためです。私がフィンランドで見たのは、カーテンを真下から見たような垂直のオーロラだっでした。北極圏内だからそういう角度だったんですね。

 オーロラは音もなく現れますが、どんなオーケストラの交響曲より、神秘的なシンセサイザーの音より、壮麗な音楽が鳴っている気がしました。擬音でいうなら、シュバーッ、ズババババーッ、という感じ。スピード感がすごいんです。光の裾はユラユラはためくカーテンのように動きますが、まるで生きているような動き方をします。光といってもボヤ~ッとしてなくて、輪郭がくっきりしています。かたときも休まず、うねり、ゆらめく。そして大きさがとんでもない。空一面、視界のかぎりオーロラに支配されます。ポストカードでよく、森の上にサーッとなびくオーロラの写真がありますが、あんなのはカワイイもんです。真上から覆い被さるように広がるオーロラは、食われそう!!と怯えるレベルで大きいです。涙が流れてきそうな感動、でも流すそばからつららになる寒さ。人間の小ささ、滑稽さをドーンと感じさせる、それがオーロラの凄さです。

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# by toyorubichun | 2004-04-20 01:42 | 美術
GERRIT THOMAS RIETVELD『リートフェルト展』
職人であり続けたオランダ人デザイナー、リートフェルトのイスと家
2004年1月17日~3月21日 府中市美術館

 ディック・ブルーナが影響を受けた建築家だというので、見に行きました。

 エントランスに、「赤と青の椅子」のてのひらサイズのレプリカがずらーっとディスプレイされていました。うーん壮観! これを作ったのは、環境造形学園ICSカレッジオブアーツの学生さん。量産されても失われることのない手作業のあたたかみ、そんなリートフェルトの持ち味がストレートに表現されていました。展示されている作品数はそう多くありませんでした。15分もあれば一周できちゃう、品薄なインテリアショップ……みたいな寂しい印象はあるものの、見せ方にワザあり!

「赤と青の椅子」
「ジグザグチェア」
「シュロイダー邸」模型と写真

 メインはこの3つ。「赤と青の椅子」は特徴的な彩色がされる前からこのデザインが完成していたことを伝える、無彩色のモデルがありました。ジグザグチェアしかり、そのほかの椅子しかり、木の組み合わせだけでスタイリッシュかつユニークな表情を出すことに心を砕いています。

 「シュロイダー邸」は、外観のポップな色彩が真っ先に目に付きますが、中はさらにスゴイ。住人が気分によって部屋の間取りを変えられるよう、壁が動いたり、家具が収納できたり、まるで忍者屋敷!! パターンを覚えて一通り試すだけでも、何年飽きないことか。また、この展示室にはユトレヒトの地図が掛けられていました。
あちこちにリートフェルトの手がけた建物が残っています。ブルーナさんは、この街に生まれ育ってデザインに目覚めたんだなあ、と納得。

 エントランスにあったものと同じ、「赤と青の椅子」のミニチュア模型を自分で作るワークショップが常設されていました。細々した作り方の案内はなく、大きな作業台に木材と接着剤があるだけで、ほんと「まあ作ってみて」っていうノリ。できあがった模型はお持ち帰りできないかわりに、美術館に展示される。材料がいっしょだからもちろん全部同じ形をしてるんですが、一つ一つがここを訪れた人の手で作られたんだなと思うと、夏休みの工作みたいな懐かしさが感じられました。

 正真正銘のリートフェルトの椅子には当然座れませんが、原寸大の座れるレプリカがありました。見た目が角張っているうえ、木でできているので、さぞやお尻が痛くなりそう…と思いましたが、さすが家具職人のデザイン。意外なほどくつろげる座り心地でした。観覧者がかわるがわるレプリカに座って、「あれっ? 思ったよりりイイ感じ……」という顔をしてました。みんな同じこと考えてたんだな!

 ワークショップやレプリカは、“本物”を鑑賞する目的とはちがうのだけれど、囲いの中にドーンと鎮座する作品を遠巻きに見るよりずっと心に残る展示スタイルだな、と思いました。府中の森の公園を散歩するついでに寄ったというかんじの親子連れが何組かいました。「ロープ張ってあるほうは座っちゃダメよ」と言われるまでもなく、年代を感じさせる“本物”のほうは一瞥するだけで、接着剤と格闘したり、ピカピカのレプリカに触ったり座ったりするのに夢中な子どもたち。これ、ひょっとしたらリートフェルトが職人冥利に尽きる光景なんじゃないかしら。

 数年前、セゾン美術館(軽井沢の現代美術館じゃなくて、池袋にあった頃の)で「デ・ステイル―1917-1932」を見た時は、バウハウスと区別がつかなかったし、全部おんなじに見えたものでした。立体も平面も全部モンドリアンに見えました。建築や当時の芸術運動に対する無学さは、いまもまったく変わっていない私です。

 そんな初心者にもやさしいパンフレットが用意されていたのがうれしい。それまでの華美な装飾を抜け出して、機能性重視の“デザイン”が生まれた頃。ドイツのバウハウス、ロシアの構成主義などなど、同時多発でヨーロッパに起こった「宣言を打ち立てて、志を同じくする芸術家が次々に斬新な作品を発表していたグループ」をざっくり紹介していました。かすかに見覚えのある人名・地名にアレルギーをもよおすことなく、へえ~へえ~、とすんなり読めるのは、装丁のおかげもあります。スケッチブックみたいなリングノートなんです。鮮やかな三原色でかわいい。

 さて、リートフェルトは、ミッフィーちゃんの生みの親・ブルーナと同じユトレヒト(オランダの都市)出身の作家です。モンドリアンと同じデ・ステイルに属した家具デザイナー/建築家。パンフレットによると、デ・ステイルって、ほかのグループとちょっとちがうそうです。よそが盛んにアーティスト同士が刺激しあって作品づくりに励んだのに対して、デ・ステイルは「メンバー」にモンドリアン、リートフェルトら有名どころを抱えているものの、作家本人は活動に積極的に荷担してなかったっていうんです。リーダーがワンマンで機関誌を出したり、宣言をしたりしてただけ、みたいな。リーダーとメンバーの温度差は、想像すると気の毒なんだけど、芸術運動の熱気から一歩離れて、マイペースにキャリアを築いた彼らの作品が後世に残っている事実はすばらしい。

 リートフェルトは、伝統的な手法や計算では割り出せないような構造を、手作りの模型から編み出したといいます。家具でも家でも、まずクライアントの希望どおりにミニチュア模型を作って、現物を作る方法はあとで考える。リートフェルトのこだわりは、リートフェルト自身の独創性ではなく、あくまでクライアントの要望を実現するためのアイディアをひねりだすことにあったんですね。この職人気質な作家が残した言葉。

「必要を感じていない人々を満足させるために働くべきではない」

 デザインはクライアントを驚かせるための細工ではない。「どうしても、こういうモノがほしい!」というワガママに応えるのが職人・デザイナーであり、明確な要求を持たないクライアントに、斬新なアイディアを生み出させる力はない、ということだろう。過剰サービスなし。時代の需要に応えて、量産モデルのデザインも手がけた。そこでもやはり第一に考えることは、暮らしに溶け込み、飽きの来ない心地よさを提供することだったそうです。
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# by toyorubichun | 2004-04-16 01:12 | 美術
青山円形劇場プロデュース『LYNX―リンクス―』
4月1日(木)~ 17日(土) 青山円形劇場
構成・演出:鈴木勝秀
出演:佐藤アツヒロ、橋本さとし、伊藤ヨタロウ、佐藤誓、鈴木浩介

 元光GENJIのあっくん扮する、自称ハッカーでヒッキーな無職の男の子が、麻薬に溺れて死ぬ話。Tシャツ、ジーンズ、ごつめのスニーカー。なんでもないラフな格好に、あのきりりとした眉とパッチリお目目のきれいな顔がのっている。か~わい~い♪そういえばあっくんは、1973年生まれ。おい、三十路かよ!10歳余裕でサバ読めるルックス、アイドルとしての魅力はまだまだ健在だ。

 なんてったって、佐藤敦啓が観たかったのだ。あっくん。名前が「佐藤アツヒロ」とカタカナに変わった今でも私にとっては、生まれて初めて夢中になったアイドル・光GENJIの、佐藤敦啓なのだ。ちなみに7人の中で一番好きだったのは最年長(当時19歳)の内海光司だった。まあ、それはさておき。

 円形劇場の客席を埋めているのは女、女、女。300人は入るキャパに、男は20人しかいなかった。あっくんは、大きな舞台を何十回も踏んでいるようにはとても見えない初々しさでした。大学サークルに入って、初めて出た芝居みたいなのである。ふつうっぽくしゃべる時に手がいつも腰にいく、顔がカクカク上下する。典型的なヘタっぴ。ヘタっぴなんだけど、動きがあまりにもキレイで驚く。踊ったり、走ったり、瞬発的な動きにアイドル特有の華がある。暗鬱なセリフを発するとか、キレて叫ぶとかの演技をしている時よりも、ニコッと笑った顔や、ただ立っているだけのなにげない後ろ姿にドキドキ!

 2003年、赤坂ACTシアター『七芒星』は、あっくんのアイドル資質といのうえひでのりマジックががっちり組み合っていた。とりあえず走る! とりあえず元気! さわやか光線キララララーン☆ っていうあっくんの姿を観て、器用な大人になったのね……自分のキャラクターを新感線カラーに当てはめるなんて……と感心したんだけど、まんまといのうえ演出にダマされだけなんですか!? 演技だと思いこんでいたあのさわやかさは、限りなく地に近いあっくん。アテ書きでけっこう、あっくんにしかできないキャラクターだったわけだ。いいじゃないか、演技派舞台俳優にならなくたって! あっくんが、あんなキュートなルックスで多種多様な役柄を変幻自在に演じきってしまったら、光GENJIの最年少の男の子だったことを忘れてしまいそうだよ!

 舞台がドラマチックな場面にさしかかると、私の脳内BGMは「ガラスの十代」に切り替わっていた。♪壊れそうなものばかり集めてしまうよ~♪ いや、案外コワレにくいんだね、光GENJIというバックボーンは。
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# by toyorubichun | 2004-04-06 03:57 | 舞台

***ライブレポート***

2004.03.26(金)
asian gothic presents "Smooth like butter"
ACT: he / toe / SPARTA LOCALS / the band apart
place: Shibuya-AX
OPEN/START 17:00 /18:00
全立見 2800円(税込)

【the band apart 演奏リスト】

1.FUEL
2.fool proof
3.Snowscape
4.cerastone song
5.AUGUST GREEN
6.新曲 ディズニーのカバー
7.in my room
8.K.AND HIS BIKE
9.Eric.W
10.When you wish upon a star(星に願いを)

6曲目は、前回のオンエアイーストでも披露していた曲かな?
「またディズニーのカバーをしました」というコメントのみで、タイトルを言ってくれない。ディズニーの名曲を知らない自分のバカー! 『When you~』よりも自由にいじってる感じがかっこいい。出し惜しみしてないでCD化してほしい!

照明はピンスポ、バックライト、すべてオレンジの単色でした。AXは1600人を収容する大きなライブハウスだけど、飾りっけなくて、小規模なライブハウスの雰囲気そのままでした。しかも、曲の展開に沿ってきっちり光の味付けがなされている。前回オンエアイーストの照明は、やたらコロコロと色が変わって演出過剰、趣味悪いなあと憤慨していた。今回は満足♪

しかし。

やっぱりラスト曲『When you wish upon a star』は、例のモノが出た。すーっとステージ中央の天井からミラーボールが降りてきて、クルクル回り始めたのである。ファ、ファンタジ~…!この曲にミラーボールは欠かせないのか?

『AUGUST GREEN』以外は1stアルバム収録曲。アルバム自体が、そのまんまライブで聴いて楽しい構成になっている。さわやかなロックで勢いよく始まって、踊れる軽めの曲につなぐ。で、またグワッと飛ばしてから、ミディアムテンポの泣かせる曲でクールダウン、そしてエイベックスの強力盤で締めるというのがthe band apartのフルコースとして成立しつつあるようだ。

それにしてもベースの原さんは、いつもロビーにいる。下北沢シェルターのライブ以外、毎回至近距離ですれちがっている。今回なんか、ふつうに一般客用のトイレに入っていくではないか。180センチ90キロ(予想)の巨体は、ただでさえ視界に入りやすい。この日はダウンコートを着て、もう一回り大きくなっていた。あまりにも自然にウロウロしているので、「あっ原だ」と気づいても、誰も声を掛けない。ライブ会場で原さんに会っても、話しかけてはいけないという、暗黙のルールでもあるんだろうか? 彼のMCがほとんどなくて、寂しかった。ダルそうにどうでもいいことをぶつくさつぶやく原さんトークは、そろそろ飽きてきたなあと思っていたけれど、ないと物足りない。アレの後にかっこいい演奏が再び始まって空気がガラリと変わる瞬間が、the band apartのライブの醍醐味なのかもしれない。

the band apartのグッズは売り切れ続出の繁盛ぶりだった。新作は、バンド名のスペルをバラバラにした“TREbdapt”ロゴTシャツ。ドラムセットがプリントされている。

今回はthe band apartのほかに、めちゃくちゃ楽しみにしていたバンドがある。toeだ。AXのチケットを取った後に知ったバンドだった。下北沢のディスクユニオンで「songs,ideas we forgot」を聴いて、ガツーンと頭を打たれたようなショックを受け、試聴機の前に立ち尽くした。こりゃーthe band apart以上に好きになるかもしれない、という予感は的中で、toeが7曲演奏する間、幸せでたまらなかった。

ボーカルなし。MCなし。言葉を排除した空間。

インストゥルメンタルのロックなんです。the band apartは曲の良さ+演奏の巧さ+荒井のセクシ~な歌声が三位一体となっているバンドですが、toeの場合は歌がない。歌はいらない。

照明がやたらカラフルで、いらんことするな!と思ったのは1曲目だけ。もう光の色なんか見てる余裕がなくなってしまった。2曲目に『leave word』を演奏して、『I dance alone』を挟んでボッサ系のリズムで始まるバージョンの『leave word』! アレンジによってこんなにも曲が変わるのか、と感動感動。シンセの音がちょこっと入っているんだけど、操作をしている人の姿が見えない。このシンセも、入るべき所に入ってる感じで、いいんだわー。

いちばん印象深かったのは、ドラムです。ジャズをやってる人なんだろうか? 打ち込みのように正確、それでいてグルーブ感が凄まじい。饒舌な音、なのだ。ハイハットの音ひとつ取っても、ドラマチック。toeの音楽はこのドラムに支えられて、ひじょうにリズミカルなんだけれど、体を動かして聴くことができない。ライブは跳ねたり踊ったり、音に合わせて自然に体が動くものだけど、toeの音楽はそれがどうも、しにくいのだ。例えば映画や芝居を見ていて踊ることがないように、toeの音楽は完全鑑賞型のように思う。オールスタンディングの客席を見渡して、体を揺らす人はほとんどいなかった。最前列を陣取る、ファンとおぼしき人々も含めてだ。


toe

toeに目移りしつつも、the band apartの5/11,12下北沢シェルターは行きたい! チケット即完売かしら…。今回はe+取扱がないから、入手困難かも。
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# by toyorubichun | 2004-03-27 01:35 | the band apart
『千年の三人姉妹』
3月20日~26日 天王洲アートスフィア
原作 A.チェーホフ/翻案 別役実/演出 藤原新平/音楽監督 東儀秀樹
出演 楠侑子、三田和代、吉野佳子ほか

チェーホフの戯曲集を読んで予習していきました。

別役実の芝居は初めて見ました。不条理劇の旗手が、チェーホフを新しく読み解く!ってな公演です。ともあれ原作『三人姉妹』、なんの前触れもなく唐突にメランコリックになる登場人物たちのワケの分からなさは、改訂するまでもなくじゅうぶん不条理劇なんですよね。大筋を変えず原作どおりの台詞が使われていたのは、なるほどと頷けます。

原作で、テーブルか何かを背負って出てきた男の、「俺はただ重くなりたかっただけさ」ってセリフが好きなんでが、やっぱりありました。テーブルの代わりにちゃぶ台です、別役版は。本編とはなんの関係もない小ネタですが、チェーホフって文豪じゃないの?このくだらない小ネタにも何か文学的な意味があるんですか先生?と、急に打ち解けた気持ちになって見られる。

『三人姉妹』
 モスクワに故郷をもつ3人が、長男と暮らしている屋敷が舞台。もとは富裕だったようだが、今はのこされた財産を食い潰している。たまに顔見知りがお金を借りに来たりする。育ちがよくて金銭感覚がないので、姉妹は気前よく貸しちゃう。長女は教師、次女は既婚、三女は少女と3パターンの女性たちが共通して願っているのは、モスクワに帰ること。今はパッとしない生活をしているけれど、モスクワに帰ったらすべてうまくいく、と信じている。そのわりに、帰る準備はしていない。


『千年の三人姉妹』
 京都から都落ちした平安時代の姉妹。京へ帰りたいわ、とぼやきつつ何もしないのは原作どおり。ただしこの姉妹、千年生き続ける。場面転換するごとに落ちぶれ、老いさらばえていく。シーンは4つ、暗転中は東儀秀樹の雅楽BGMがプァ~ンと鳴ってる。


春・ひなまつり 平安時代
 平安時代、優雅なお姫様の暮らし。

夏・たなばた 江戸時代
 遊郭で客引き。常連客をてきとうにあしらって、そこそこの生活をしている。

秋・船着き場 昭和初期
 やさぐれて、売春より始末の悪い美人局(つつもたせ)になる。

冬・新宿界隈 平成
 もう働きもしないホームレス。

長女オリエ(オーリガ)=おおらかで気丈。
次女マツエ(マーシャ)=好きな男に素直になれない、意地っ張り。
三女イリエ(イリーナ)=無邪気、好奇心旺盛。

こんだけ何も変わらなきゃ、もう死んでも変わらないだろう……というかんじ。でも死なない。格好もどんどん惨めになっていくのに、悲壮感はまったくない。むしろ3人の性格はコミカルさを増していく。凍えそうな夜、街灯の下で3人は身を寄せ合って、あの名言を発する。

「生きていきましょうよ!」

それまでにも笑いをとる場面はいくつかあったけれど、このキメ台詞で客席がどっと湧いた。生きる希望だとか、前向きな姿勢だとか、そんなイイ響きのはずが、「まだ長生きする気かよ!?」とあきれてしまう。このユルさと底抜けの明るさ、なんなんだ。

『桜の園』『かもめ』『ワーニャ伯父さん』などチェーホフ作品、ほかのも見たいです。古典が見たいお年頃です。
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# by toyorubichun | 2004-03-23 01:51 | 舞台
Dick Bruna:all about his work
ディック・ブルーナ展
ミッフィー、ブラック・ベア、そのシンプルな色とかたち
2004年2月21日(土)~3月28日(日) 板橋区立美術館

 3月はじめの日曜、美術館のすぐ前には、黄、赤、ピンクの梅がちょこちょこと咲いていました。入り口には記念撮影用のミッフィーちゃんボードがあって、カップルや学生たちがたのしげにパシャパシャ撮ってました。親子連れもいっぱい。

「かわいいわよねえ、ブルーナ」
「えっ、うさこっていうんじゃないの?あのウサギ」
「あら、うさこの本名はブルーナっていうのよ」
「へえ奥さん物知りねえ」

 赤ちゃんを抱えた中年のおばさん(ひょっとして若いおばあちゃん?)の惜しいトリビアに耳をすませながら、展示フロアへ。約1000点の作品が揃った大規模な個展は、販売コーナーも大充実! Tシャツ、傘、文房具などなど、大人が身に付けていてもおしゃれな物ばかり。やはりブルーナデザインは、サンリオ系のファンシーキャラとは一線を画しています。

さて、コーナーごとに勝手に命名してご紹介していきましょう。

<黎明期のアトリエ>
 学生時代の風景画。一筆書きのような、迷いのない線は写実的なスケッチをしていた頃から、すでに確立されていました。ここでおもしろかったのは、デザイナーを始めて間もない頃のポスターを見ていくと、グラフィック・デザイナーであるブルーナの最大の特徴「シンプルな形と色」は、色が先に絞り込まれたらしい、と分かること。シンプルに最小限の線のみで画面を構成する方向性は定まっているものの、ミッフィー、ブラックベアに比べると、まだまだ雑然として見える。それでも見まごうことなくブルーナの絵だ!と判別できるのは、やはりあの色。



<三原色のひろば>
 「切り絵のデザイン技法は、マティスの影響が大きい」と幾度となくキャプションで紹介されているわりに、肝心のマティスの作品が一点もなかったのは残念。もちろん、今回展示されていたモンドリアンやレジェの絵画、リートフェルトの椅子も、ブルーナに影響を与えた大切な作家の作品でしたが、マティスの切り絵に夢中にならなければ、ブルーナの絵本シリーズは生まれなかったかもしれない、というほど直接的な影響を及ぼしたそうなので、マティスはこのコーナーのマスト・アイテムだったんじゃないかと思います。ああこの絵ね、って確認できる程度のカラーコピーを展示するわけにはいかないから、いたしかたないのかな。川村記念美術館「マティス・挿絵本『ジャズの世界』」をあわせて見に行くべきだった、と後悔。


<子どもの部屋>
 ブルーナの絵本といえば、世界じゅうで愛されている“うさこ”ことミッフィーのシリーズ。つねに真正面からみつめてくる、かわいさ最強のウサギちゃん(・×・)1955年に誕生して以来、少しずつ顔つきが変わっています。横ひろがりの楕円だった輪郭が、まんまるい円に近づいている。20年のスパンで見ると変遷は明らかで、60年代のミッフィー/80年代のミッフィー/現在のミッフィーが一列に並んでいました。過渡期にあたる80年代の顔が、私はいちばん好きです。


<デザイナーの仕事場>
 タイポグラフィー、探偵小説の装丁など。スタイリッシュな大人の読み物にふさわしく、こじゃれたコラージュが並んでいて素敵。ブラックベアは「ポケットに刺激を」というコピーとともに、文庫本プロモーション用のイメージキャラクターだった。黒いマントを着た男がポケットにブラックベアを突っ込んでるイラストがユーモラス♪かわいすぎて、ヘンな迫力があるぞ!


<原画の壁>
 動物園や水族館で、知ってるようで知らない生き物の生きてる姿を見たときの気持ちになりました。テレビで見て憧れているアイドルを、生で見た感じにも似ている。ブルーナのキャラクター商品は巷に溢れているけれど、原画の生命力は、こういうのを目の当たりにしないとやっぱり感じられないなあと思いました。大人の背丈ほどあるビッグサイズ・ポスターがずらり。ブラックベアのふわふわした毛を表現するために、輪郭がちぎり絵になっていたり。ブラックベア、実は今回の展示を見に行くまで全然知らなかったんですが、釘付けになったポスターが2枚ありました。


 ネピアのwebに、その絵があります。「ブラック・ベアってなあに?」をクリックすると出てくるイラストです。おすまし顔のブラックベアの肖像、その背景はブラックベア型のモノグラム! というブラックベアづくしの絵です。ブラウザでは縮小されて確認できませんが、背景のモノグラムは一つ一つ手書きで、ちょっとずつ歪みがあります。もうひとつは、上のURLで「ヒストリー」をクリックしてください。
一番下の段、真ん中の1968年“家でのんびりしよう”ポスター。縦170×横100センチくらいでしょうか、駅貼ポスターくらいの大きなサイズです。画面の9割は真っ黒で、片隅にあざやかない色の本(グリーン)、部屋の明かり(イエロー)、本(オレンジ)が浮かんでいる。たったこれだけなのに、ブラックベアのいる部屋が、どんなに居心地のいい場所かイメージできる。背中が沈み込みそうなほどゆったりした家具にもたれて、心ゆくまで読書を楽しむ時間……“家でのんびりしよう”というポスターのメッセージが文字をひとつも使わず、完璧に再現されている一枚!

■ディック・ブルーナ公式サイト(英語)
 3Dアニメーション、スクリーンセーバーのダウンロードなどかわいいいいっ!と叫びたくなるイラスト、動画がいっぱい。おひげがチャーミングなブルーナさんの顔写真も載っています。
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# by toyorubichun | 2004-03-16 17:56 | 美術
『2ピアノ4ハンズ』
2004年3月5日(金)~21日(日) ルテアトル銀座
作/演出/出演 テッド・ダイクストラ、リチャード・グリンブラット(カナダ)

 グランドピアノ2台が向かい合ってしつらえてあり、2人のピアニストが演奏しながら演技する。背景にはグランドピアノと同じ幅額縁があって、ピアニストの影がちょうど映りこんで、まるで切り絵がピアノを弾いているように見えて美しかった。

 黒いタキシード姿の2人は、ピアノ漫談とでも言おうか、1分足らずの短い演奏をはさみながら、次々にピアノにまつわるエピソードを演じていく。連弾あり、ソロあり、ピアニスト志望だった役者ならではの超絶技巧が楽しめる。

 お話は、ピアニストを目指していた7歳~17歳の少年時代。少年役とピアノの先生役になる時もあれば、ライバル同士になったり、親子になったり。照明や台詞、はたまた曲のつなぎ目をきっかけに、めまぐるしく二人の配役が変化していく。

「ベースになっているのは、最高レベルを目指して努力する人間の話。何かを夢見て、ひたすら努力を重ねても、必ずしも報われる ことばかりではないよね。でもそれまでの努力や費やした時間が無駄になる ことは、決してないんです。僕らの場合は、“ピアノが弾けるようになった” という満足感が残ったもの」
――劇場パンフレットより――


 子どもらしく友達と外で遊びたいのに泣き泣きレッスンに通わされたこと、ちょっとうまく弾けるようになって天狗になったこと、ピアノに夢中になりすぎて学校の成績が落ちたこと、大学なんか行かないでプロになるんだと言って親と喧嘩したこと。子どもの頃から一つのことに熱中してきた人には思い当たるフシの多い、ほろ苦くて微笑ましいショートコントが続く。

 練習中に指が動かなくて煮詰まった時、気分転換に自分の好きなやさしめの曲を弾いたり、課題曲を練習しなくちゃダメって分かってるのに、ポップスをメドレーで弾いて悦に入っちゃったり。そんなシーンで、ビートルズやエルトン・ジョンの曲にまじって「上を向いて歩こう」を弾いていた。東京公演なだけに、ご当地ソングということだろう。


 音大入試の面接官に「各国出身の音楽家を一人挙げなさい」と言われて、ドイツ、チェコ、フィンランド、イタリア、アメリカの音楽家の名前を答えるものの、カナダ出身の音楽家が一人も出てこない。「きみの故郷だろう?一人くらい知らないのか」とつっこまれ、言葉に窮するシーンがある。カナダ出身者による、自虐的な笑いだ。カナダは戯曲も映画も欧米の輸入に頼っており、オリジナル作品やアーティストがいないのだそうだ。とすれば、『2ピアノ4ハンズ』がカナダを代表する作品になるんじゃないだろうか。演技と演奏の両方ができる役者二人をキャスティングした舞台、日本人でも実現する日は来るかもしれない。

 世界各地で728ステージを重ね、2003年10月トロント公演を最後に、再演はしないはずの作品だった。東京招聘公演こそ、オリジナルキャスト上演は、ほんとうに最後の最後になるという。こんな貴重な作品、見逃していいものだろうか。芝居が好きな人よりも、むしろ音大生や吹奏楽部だった人たちにこそ観てほしかった。チケットの売れ行きがよくないのなら、学校の吹奏楽部や、社会人の音楽サークルにグループ割引の案内を出したら、大きな反響が期待できたのではないだろうか? 金曜の夜にしては空席の目立つ客席を観て、そんなことを思ってしまった。

 スクラップブックに貼った切り抜きみたいなエピソードの数々には、「たしかにそんなことがあった、あの頃の自分はバカみたいに頑張った。今の自分は、その時の自分があったからいるんだ」とあらためて思い出させる。古ぼけた写真のように、記憶をあたたかくよみがえらせてくれる舞台だった。
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# by toyorubichun | 2004-03-13 11:47 | 舞台
ロリータ男爵『あいつは裸足~その足で逢いに行け~』
2004年1月22日(木)~26日(月)下北沢駅前劇場
『あいつは裸足~その足で逢いに行け~』

【ジャンル】野生児・ショウビズ・考古学

【ストーリー】

世界が汚染され、生命が絶たれて次の世界での物語。
人との交わりを持たず、人間の言葉を知らずに育った野生児が、
動物用の罠にはまったところをサーカスの小間使いに助けられる。

一方、社会は深刻な食糧難にあえいでいた。考古学の大発見
「食べれる土」によって、問題解消の糸口は見えたかのようだった。
が、政府は土を食べることを禁止した。

そんな中、旅回りの一座がテント下でこっそり土を掘り続けている
という情報が流れた。政府は捜査に乗り出す。

小間使いが野生児を連れ帰ったのは、くだんのサーカス一座。
手のつけられないほど荒々しかった野生児は「ヴィクトリア」
と名付けられ、小間使いや座長の娘に可愛がられながら、
コミュニケーションを覚えていく。しかし、この野生児こそ、
「食べれる土」の秘密を握るキーパーソンだった!


【みどころ】

 お花をあしらった花道、サーカス座長(役者松尾マリヲ)による開演前の前説を兼ねたミニ手品と、会場に足を踏み入れた瞬間に“ショー”を意識させる演出をした。軽やかな一輪車芸、ドラァグクイーン風の調教師と動物たち(着ぐるみ+本物のイヌ)などのそれっぽいビジュアルが、駅前劇場をこぢんまりしたサーカス小屋に変えた。

 野生児・ヴィクトリアは、大佐藤崇の猛々しい肉体美あっての役どころ。ほぼ全編うなり声だけを発する野生児を取り巻くキャラクターとして、客演の拙者ムニエル伊藤修子・元猫ニャー西部トシヒロの秀逸な演技が光る。


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 野生児のファッションは、腰布1枚つけただけの、風邪ひきそうな裸。しかも後ろから剛毛がハミ出している。付け毛で野性味をプラス…?出てきた途端に下品でした。下品なのはロリータ男爵に向かないよ~、と思いつつ、大佐藤崇が精悍な体つきをしていて見応えのある裸なだけに、遠慮無く鑑賞してしまいました。裸!裸ばんざい!

【もっとくわしいストーリー】
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 野生児は、捨てられる時に親が「土を食べれるようにするレシピ」を同封していた。考古学の大発見と言われた「食べれる土」は、実はそのレシピがないと食べれなかったのである…。

 一方、「食べれる土」を禁止した政府のお偉いさんは、土を食べるという御法度を犯すことにご執心だった。サーカスの一座が掘り起こしている土こそ自分の追い求めた土だと確信し、つけ狙っていたのだ。しかしサーカスの座長は、地下に眠る古代文明の利器・全自動洗濯機を目当てに掘っていた(ずっと未来のお話だから)。「いつか舞台に立ちたい」と夢見る小間使いを気遣い、洗濯物を一挙に片づけてくれる全自動洗濯機をプレゼントしたかったのだ!心優しい座長!つまり「食べれる土」は全然関係なかった。野生児を捕獲するために雇われたハンターが、まさに野生児を捕らえようとしたその時、小間使いが野生児を庇って射抜かれてしまう。

 政府のお偉いさんは、ショックで廃人になってしまう。部下はお偉いさんに一度でいいから土を食べさせてやりたいと、再び野生児を追う。また、ハンターに射抜かれた小間使いは、何年も眠りについていた。ねむり姫のように。やっと目覚めた時、サーカスの一座は大喜びして小間使いを舞台に立たせようとする。しかし、小間使いはプロ意識から、溜まりに溜まった洗濯物をすべて片づけてからでないと舞台に立てないと言い張る。洗濯物の中には、野生児の衣類に付着したレシピも残っていた。「レシピを渡せ!」と迫る政府。

 ちょうどその時、大学を出て立派な社会人になったことを報告にやって来た野生児が登場する。全自動洗濯機のスイッチを入れれば、「食べれる土」の存在は消えてしまう。しかし、廃人となったお偉いさんは、全自動洗濯機のスイッチを入れる。泡と消えゆくレシピ。お偉いさんは、「食べれる土」をめぐって起きた争乱のピリオドを、自ら打ったのだ。

 そして野生児は、宇宙船に乗り、ふるさとへ帰っていく。

****************************************************************



細かく思い出してみると、いい話なのかも…。でも、野生児がどこに帰っていったのか、なんで帰るのかはよく分かんない。そういう設定の、もとになった映画でもあるんでしょうか?

「食べれる土」っていう“ら抜き言葉”の脱力感とか、野生児=裸っていう短絡さとか、かなり好きなセンスなんですが、下品な感じはいただけなかったんですよね~。野生児がサーカスの動物たちと手当たり次第にまぐわってるのとかは、ちょっと生々しい。ロリータ男爵は、かわいらしくてホロリとせつない路線が好みなもので。1ファンとしての意見では。ストーリーとキャラクターの関係性が複雑なわりに、ところどころ理解してなくても最終的になんとなく納得させられる、という点では及第点でした。

その他の感想は、斉藤マリはいつ見ても非の打ち所がないなあとか、音楽すごい泣ける~とか、着ぐるみ作るのほんとに巧いなあとか、いつもどおりでした。あと、みんな上手になってるので、もったいない。大仕掛けの演出がなくても、演技や会話のバランスだけでじゅうぶん面白い芝居にできる気配が感じられます、最近のロリータ男爵。ヘタくそヘタくそと言われていた出始めの数年は、あれはあれで言われ過ぎだった気がしますが、ロリータ男爵の良さを残しつつ(ビジュアル凝りまくり&無邪気に歌って踊る)、ヘタさが売りですみたいな素人臭さを一蹴した内容が見てみたいです。

次は新宿三丁目シアターモリエール。ひな段の見やすい椅子席なので、老若男女安心して楽しめる系を期待!?
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# by toyorubichun | 2004-01-24 01:43 | 舞台
***2003/12/11(月)渋谷オンエアイースト***

2003年9月発売のアルバム『K and his bike』お披露目のための、"Smooth like butter"ツアー。10月から全国を回って、渋谷オンエアイーストが最終。

ガンジーと行って参りました。平日のため、二人そろってビジネス・スーツ。パーカーやジーンズ姿のラフな服装をした10代~ハタチそこそこの若者たちの中で、我々明らかに浮いてました。ウロウロしてたら、バイトっぽい会場整備のお兄ちゃんに、2Fの関係者席に通されそうになりました。「一般客です、すみません」と高見の見物ができるチャンスをふいにし、1F立ち見の真ん中あたりへ。スーツ着てると自然に若者たちが道をあけてくれるので、おとなの役得だなあ、などと思いました。年寄りをいたわってくれてるのかしら。

さてライブ。レコ発ツアーということで、1stアルバム全曲プレイ。あと初耳の曲が1つありました。なんていうタイトルだったんだろう? やけに丁寧な演奏だったので、頻繁にやる曲じゃないのかも。
-ベース原氏
「こんなにたくさん演奏することも、もうしばらくないでしょう」

これだけ一気に演奏する体力がバンアパにあったんだ、と感心しました。複数のバンドが出演するライブでは、持ち時間30分程度なのに、2曲続けて演奏したら疲労を隠さず水をゴクゴク飲んだり、まったりMCしたりのマイペースな人たちなので、このツアー大変だったろうなあと思います。今回も単独ライブではないんだけど、1時間出突っ張り。かっこよかったです。

ドラムがすごく上手になってると思いました。2001年発売シングル「fool proof」では、走り気味のギターに置いていかれそうで頼りなさを感じたものですが、いまやバンドを引っ張る大黒柱です。メンバーの中でいちばん小柄なせいもあって、ドラム木暮氏は繊細そうに見えるんですが、ライブは男らしかった。

ギターとボーカルはいつもながら◎。荒井氏の甘い声には、ほんと酔わされます。宇都宮隆、スガシカオ、斉藤和義、リッキー・マーティン、スティングを抜いて、抱かれたい声の男No.1!(とよちゅんオリジナル・ランキング)

ひとつ贅沢を言わせてもらえば、ベースが聞こえにくかった。原氏の野太く安定したあのベースラインが、どうも聞き取れなかった。「Eric.W」はアレがないと体が動かないんだよお。立っている位置が悪いのかな、と小休止の間に1F後方へ移動してみましたが、変化なし。4人の音がバランス良く聞こえてこないと曲が完成しない、というくらい全員の音が大切なので、リスナーからするとこれはかなり致命的。ベース抑えめの設定だったのかしら。音響設備のことよく知らない人間が言っても説得力に欠けますが、気のせいじゃないと思うんだけどな…。

私がこれまでthe band apartを見たのは、下北沢shelter、新宿ロフト、新所沢PEGGYDAYと多くて200人収容くらいの会場でした。メンバーが立って演奏するのでやっとなスペースのステージと、立ち見フロアに死角を作ってしまうデカいスピーカーがある、質素なライブハウスです。それらに比べると、オンエアイーストは千人くらい? とても広くてキレイな会場でした。照明も万全、メンバー4人それぞれにピンスポが当たっている光景は、あたかも大物バンドのようでした。しかも、曲ごとに演出がなされている! 赤くなったり青くなったり、曲のイメージに沿ってめまぐるしく彩りが変わりました。the band apartのライブでは見たことがない、豪勢なビジュアル。しかしそれは例えて言うなら、日本人が日本映画を観るときに日本語字幕が付いているようなものでした。蛇足、過剰サービス、いらぬお世話。音だけでじゅうぶん世界観が伝わるのに、演奏だけでじゅうぶんカッコいいのに、暗くなったり目に痛い閃光が走ったり…照明がうっとうしく感じたのは、舞台芸術を見て初めての経験でした。天井にミラーボールが付いてたんですが、「星に願いを」のカバー曲ではコレ、ぐるぐる回りだすんだろうなあ、と思っていたら、案の定回ってました。こういうのがカッコ悪く見えちゃう私は、へそ曲がりなんでしょうか。

次の大きいライブは渋谷AX。スタンディングスタイルで1500名、シートスタイルで700名の東京最大級のライブハウス! いやーん、またキンキラなのかしら。the band apartは缶ビールでも飲みながらボーッと聴きたいのにな。全席指定の座席で、MCの時は腰をおろしてハハハと笑う、っていう温厚なライブにしてくれないかな。暴れたいお客さんのほうが多いからムリなんだろうけど、そんなことを望んでしまいます。

2/25のシェルター行きたかったなあ。ぴあソールドアウト、e+取扱なし。会場の前売りに並ぶ体力と時間はないぞ。
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# by toyorubichun | 2003-12-11 01:31 | the band apart
ライブを楽しみに待つ私は、毎日おうちでthe band apartのCDを聴いて……いるのが通常なんですが、なんと現在CDプレイヤーがありません。CD聴けません。先月コンポが壊れて以来です。生活するうえで、なければないで平気なんですが、ドラム木暮氏のツアー日記を読むと、音楽が聴きたくてウズウズしてきます。木暮氏は自分が好きな音楽のことをよく書くので。他のメンバーは書かないな。いったいどんな音楽聴いて育った人がthe band apartみたいな音楽を作るんだろう、と気になるので、いろいろ書いてあると嬉しいです。でも今聴きたい!と思ってCD買っても再生できない。まずはプレイヤーを入手しなくては。

2003年11月コグレの日記
沖縄のフェリーは(中略)ずっとフィッシュマンズのライブ盤を聴いてました。二枚組なんですがほんとにライブか?と疑いたくなる程素晴らしいです。特に二枚目がヤバい。レゲエとかダブが下敷きっぽいけど、完全にオリジナルミュージックです。あと、沖縄のラジオで聴いたOUTKASTも切なフリーキーでした。チープなシンセ音が冬に似合います。


フィッシュマンズのライブ盤2枚組は「'98.12.28男達の別れ」のことかな。フィッシュマンズは聴いたことがありません。「空中キャンプ」「宇宙 日本 世田谷」とアルバムのタイトルが気になる人たちです。“レゲエとかダブが下敷きっぽいけど、完全にオリジナル”というのはthe band apartにも置き換えられる言い回しで、彼らの下敷きはファンクとかアシッドジャズ。またシングル「fool proof」の歌い出しで印象深いボサノバ。ジャンルを踏襲しているにはちがいないんだけれど、コレだ!と割り出せない感じ。そういうthe band apartの興味深い点が、フィッシュマンズにもありそう。ぜひ聴いてみたいです。フィッシュマンズは、サニーデイサービス、くるり、キリンジみたいなのかなあと想像してます。はてさてどう裏切られますことやら。

OUTKASTはヒップホップなんですな。木暮氏はラッパーを目指していた時期がある!という話をつい思い出してしまう。ロック、フォーク、ブルース、ジャズからドラムンベース、テクノまで…ってこれまたいろいろ混ざった音楽らしい。

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12月11日の渋谷オンエアイースト楽しみだ~
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# by toyorubichun | 2003-11-05 01:30 | the band apart
渋谷オンエアイーストの追加公演、チケット取れた!待ち遠しい!

***ツアー日記***

トップページの画像は、更新ボタンをクリックすると何パターンか変わる。ドラム木暮氏&ギター川崎氏が二人でイヤそうにお風呂に入ってるとこなんかも出てくる。よーく見ると…ラーメン?なんか、ちぢれ麺が湯船を満たしている…いったいナニ風呂!?

ツアー日記がどんどんダークになっている。移動や宿泊を格安で敢行しているためだ。全国ツアーとはいえ、駆け出しのインディーズバンドの扱いは深刻に過酷なようだ。それにしてもベース原氏の日記は下品だ。他メンバーやスタッフが原氏について書く内容もおしなべて下品だ。たとえ何を言おうと惚れた弱みで許せる、ってほど心広くない自分に気づく。音楽は良いんだからそんなの関係ないのよ!幻滅することないのよ!と手で顔をぴしゃぴしゃ叩きながら読んでます。
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# by toyorubichun | 2003-11-03 01:28 | the band apart

クエンティン・タランティーノの製作会社と同じ名前なのは偶然の一致? と長らく気になっていたが、そのとおりだった。ボーカル担当・荒井氏の日記に書いてあった。メンバー全員がタランティーノ好きなのだという。

ウェブがリニューアルしてから、メンバーのツアー日記が読めてうれしい。だが、ツアーが終わったら更新ストップするんじゃないか?という不安は残る。なにしろ新譜を年1回出すか出さないかのマイペースなバンドである。うーん不安。
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# by toyorubichun | 2003-11-02 01:26 | the band apart
9/15待望の1stアルバム『K AND HIS BIKE』が発売されました。

上記URL(公式HP)から試聴できますので、おためしあれ。一瞬で終わっちゃうんですが、ボーカルがかっこいいんですよ~、セクシーなんですよ~、しびれます。スティング、リッキー・マーティン、J(S)W、スガシカオ、斉藤和義と個性的な声にひかれてきた私としては、ツボを直撃される声でございます。

公式HPは、ちょっと前までリスナーのBBSしか更新してなかったのに、ぐっと渋めなHP作りに乗り出したみたい。いよいよメジャーデビューに向けて発動か!? しかしバンドアパートさん、なかなか新曲出しません。
「うちは趣味のバンドなんで」と言い切る潔い人たちです。

ボサノバちっく、クラシックディスコちっく、アシッドジャズちっく、オルタナちっく、そんな音を1曲の中にドカドカ詰め込んだ曲作りが特徴。目眩のしそうな強引な展開を見せつつきちんとまとまっているんです。メンバー4人が25歳!若い!

新所沢のライブハウスに行ってきました。レコ発全国ツアーの皮切りとなるライブでした。ホルスタインと対バンだったんですが、バンアパから見ようと思った私は入り口でベースの原氏に遭遇。でかい!! 180センチくらいあるのかな? しかも横幅もある巨漢。ライブ告知のチラシが貼ってある掲示板に両手をついて、ダカダカダカッと指を叩きつけていました。

いつもMC(だるそうに些細な日常を話す。メンバーが誰ひとりフォローしない、やりっぱなしなトーク)が面白い原さんにおそるおそる近寄ると、
「あ、俺このあと演奏するんですよ。よかったら見てってください」
と逆に勧誘されました。何言ってんですか、所沢まではるばるあなたたちを見に来たんですよっ!「はい、バンドアパート大好きです」と答えると、
「なんだよ恥ずかしいな~」
言うなり、バン!!とどつかれました。肉厚の平手打ち、痛いってば。照れ屋の巨漢でした。

12月のリキッドルームも行きたいなー。
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# by toyorubichun | 2003-11-01 01:08 | the band apart